2024/1/29

1人でスタート、今では多様性のあるチームで団体表彰!

大通り公園水の広場(横浜市)

各地の公園ボランティア活動を紹介する「となりの公園愛護会」。今回は、かつてはゴミが多く少し怖い雰囲気だった都会の公園を花と緑で美化し安心安全な憩いの場にしている、こちらの皆さんです。子どもや外国籍の人、障がいのある人など、様々なバックグラウンドを持つ人が楽しく活動されています。

横浜スタジアムや中華街にも近い大通り公園

横浜市中区にある大通り公園(おおどおりこうえん)。横浜市営地下鉄の伊勢佐木長者町駅の地上に隣接し、JR関内駅から横浜市営地下鉄ブルーラインの上を通る形で阪東橋駅まで、およそ1.2kmにわたる細長い公園です。吉田川を埋め立ててできた大通り公園は、石の広場、水の広場、緑の広場など、いくつかの区画に分かれ、園内にはロダンやヘンリー・ムーアなどの彫刻作品もあります。通勤通学や散歩・買い物など多くの人が行き交い、朝から晩まで様々な人が利用する公園です。

(JR関内駅からすぐ、ロダンの作品「瞑想」がお出迎えしてくれる大通り公園)

細長い公園のちょうど中央付近、伊勢佐木長者町駅からすぐの「水の広場」で、ボランティア活動をされているのが、大通り公園水の広場愛護会のみなさんです。毎週土曜日の朝、広場内の緑化活動をされています。1月の活動日にお伺いし、会長の笠原光子さんとメンバーのみなさんにお話をお聞きしました。

(会長の笠原光子さん:水の広場の中央には水が流れ、人々を癒しています)

障害のある人や外国籍の人など多様なメンバーが楽しく活動

活動開始時間が近づくと、徒歩や自転車であちこちから愛護会倉庫のある拠点「愛護会テラス」に人々が集合してきました。大通り公園水の広場愛護会の活動は、恒例のラジオ体操からスタートです。スマートフォンでラジオ体操第一をかけ、子どもも大人もみんなで体操。

大通り公園水の広場愛護会のメンバーは、耳の聞こえない聴覚障がい者の人たちや、中国から来た人たち、子どもからシニアまで、とても多様な人たち。コミュニケーションも、日本語、中国語、手話、筆談など複数。同時にいくつもの会話が飛び交い、賑やかです。

毎週土曜日の活動日は自由参加、集まった人数によって作業内容を決めていきます。ラジオ体操のあとは、その日の作業内容の紹介と担当の割り振り。作業内容や担当はわかりやすくホワイトボードに書いて、作業スタートです。倉庫横の掲示板には、活動日や時間のお知らせもあり、誰でも参加を歓迎する情報共有の場となっています。

(作業と担当を決めたらホワイトボードに書いて情報共有、公園を通る人たちにも愛護会活動をお知らせ)

この日の作業は、フイリヤブランの切り戻しと、アガパンサスのお手入れ、タチアオイの整理、テラス横のフェンスの補修など。担当する内容ごとにコミュニケーションを取りながら作業を進めていました。

基本的な活動は、園内の両側にある植栽エリアのお手入れです。広い園内はA-Gまでのエリアに分類することで、作業内容の共有や伝達が便利になったそうです。ホワイトボードの活用や筆談器メモパッド、SNSでの発信など、メンバー内はもちろん外に対してもコミュニケーションを大切に活動されていることが伝わってきます。Facebookでは、活動の内容とともに、みなさんの楽しそうな様子がたくさんの写真と一緒に紹介されています。

(フイリヤブランを春に向けて短く剪定していきます)
(こちらはアガパンサスの枯れた葉っぱを取り除いていく作業です)
(チームワーク抜群の兄弟。中国でも家族でボランティア活動に参加していたそうです)

ゴミ対策に花を植える活動をひとりでスタート

横浜市環境活動賞や公園愛護会表彰など、今では数々の受賞がある大通り公園水の広場愛護会ですが、スタートは2009年会長笠原さんのおひとりで始めた地道な美化活動だったことを話してくださいました。

ごきょうだいを次々にご病気で亡くしご自身も意気消沈していた中、心身の健康のために散歩を始めた笠原さんは、大通り公園の汚さとゴミの多さを目の当たりにし、「これでは市民として恥ずかしい、これじゃいけない」と思うようになったそうです。

花を植えたらゴミを捨てる人が減ってキレイになるのではないか?と考えた笠原さん。しかしながら、当時の大通り公園は大勢のホームレスがたむろし、犬のフンも放置、昼間から飲酒をする人や、夜通し集まっている人たちなどもいて、地域での評判も悪く、人々が敬遠するような場所だったそうで、やめておいたら?と言われてしまうような状況だったようです。

毎日歩きながら、やろうかどうか3ヶ月は考えたという笠原さん。でもやっぱりやろうと決心し、公園の端から花植えに挑戦することに。

ところが、水の広場は植物が育つように作られておらず、花を植えようとしても、大きな木の根元の土はカチカチに固く、掘っても石やコンクリートのかけらがゴロゴロと出てきて、花を植えるどころではなかったそうです。やっとの思いで花苗を植えても、掘り返されたり抜かれたりといった事態が発生することも(犯人はカラスだったとのちに判明したそう)。それでもめげずに端から順番に土を掘り、花を植えるという作業を続けていったそうです。

シャベルを持ち込み作業するも、素人の女性一人の力では到底進まない日々。その様子を見るに見かねて声をかけてきたホームレスのおじさんと一緒に作業をしたというお話も。時にはおにぎりをあげたり、悩みを聞いてあげたりもしたという数々のエピソードから、笠原さんのお人柄と愛情深さを感じずにはいられません。諦めずに続けるうちに、見ている周りの人たちの協力も増え、仲間が増えていったことを教えてくださいました。

そのうちに横浜市には公園愛護会制度があることを聞き登録することに。それでも横浜市からの年間の活動費30,000円では足りず、道具や花・土・肥料の購入、作業後のお茶の差し入れ、シャベルやホースなどを保管する倉庫もなかったため時にはタクシーで道具を運び込むなど、多くの時間と労力とお金を投じて活動を継続。

いろいろな花を植えても育たない、作業もハードという過酷な状況の中、メンバーが次々と減ってひとりになったこともあったそうです。そこでもめげずにコツコツと緑化活動を続けたという笠原さん。市役所の職員や、時にはホームレスに間違われたこともあるくらいこの公園で過ごした時間の長さを振り返ります。

声かけとサポーター制度で仲間を増やし表彰も

2016年横浜市環境活動賞にチャレンジし受賞、2021年には横浜市公園愛護会の個人表彰を受賞されるまでになりました。次なる目標は団体での受賞、仲間を増やそうと独自の「サポーター制度」をスタートすることに。

公園で咲いたタチアオイやタイタンビカスの花の便りとタネを、公園や知人・友人及びあらゆる場面で配布しました。Facebookでの情報発信にも力を入れて、様々な世代に参加してもらうための工夫をしてきたそうです。花のタネは、コミュニケーションのきっかけになり、その上寄付金も寄せられるようになりました。

サポーターは誰でも参加OK。活動を見守る人、参加する人、お金で支援する人、なんでもアリ。自分にできることをできる範囲で協力するというスタイルで、現在ではおよそ100名が登録しています。

(公園で咲いたタチアオイの種と一緒に、活動の応援の仕方を書いたお便りを公園で配っています)

サポーターという仲間が増え、定例活動も月1回から毎週土曜日に定着。花好きさん、イベント好きさん、大工仕事が得意な技術担当さん、ずっと地元に住んでいるというご近所さん、数ヶ月前に移住してきたばかりという人、毎週様々な人が集まって、自分の得意を生かして公園をより良い場所にしようと活動しています。その甲斐もあって、2023年には目標にしていた横浜市公園愛護会の団体表彰を受賞(タウンニュース横浜にも掲載されました)。

「ここはみんなの公園です。とくに近隣のみなさんにはもっと関わってもらいたいんです。」と話す笠原さん。活動中も公園を通る人に次々と明るく笑顔で話しかけていらっしゃいました。

お花と写真好きの美年子さんは、大輪のタイタンビカスの花の写真を撮りに訪れた時の会話がきっかけで活動に参加するようになったそうです。倒木した大きな木の根っこを掘り起こして撤去するという大変な作業もとてもパワフルに成し遂げたり、様々な工夫をしていることを教えてくださいました。

聴覚障がい者の一道さんは、筆談器メモパッドを使ってお話をしてくださいました。長く活動に参加されているそうで、耳の聞こえないお友達を誘ってきたり、細やかな気配りなど、とても頼りになります。

ずっと地元の横浜で暮らす真紀子さんは、かつてのこの地がどのような場所だったかを教えてくださいました。この大通り公園は夜もずっと明るいので、一生懸命育てたコスモスの花が咲かなかったというお話も。

定年後のセカンドライフの楽しみとして地域活動に励む川上さんは、3駅向こうから参加。掲示板を紹介してくださったり、2027年の横浜国際園芸博覧会に向けた目標なども話してくださいました。

中国人の勝蘭さんは、ゴミ拾いなど他のボランティア活動にも参加しているそうですが、「ここはみんなで楽しくできるからよく参加してます!」と笑顔でおっしゃっていました。

年齢や言語、障がい、様々な生活スタイルやバックグラウンドを問わず、多様な人々が分け隔てなく笑顔で関わり合う場ができていることは素晴らしく、お互いを尊重しながら、コミュニケーションを大切にしている様子がよく伝わってきました。

(クリスマスの時にはみんなでサンタになって楽しく活動!:大通り公園水の広場愛護会提供)

活動をより強固なものにするために世代交代

笠原さんは今年の3月で会長を交代するとのこと。理由をお聞きすると、活動を続け発展させるため、次の世代を育てるためだと話してくださいました。

「15年続けてここまで来れました。愛護会の活動も定着し、大通り公園は安心安全な場所になりました。いつまでも会長を続けているよりも、それぞれが持っているアイデアや力を出し合って、各人がリーダーとして活動をより強固なものにしていってほしいと思っています。」と笠原さん。

4月以降は、会長補佐の4人が1年交代で会長を経験しながら、リーダーを育てみんなで努力し成長していくというマネジメントプランを描いているようです。

折しも、大通り公園はリニューアルが予定されており、現在サウンディング型市場調査が実施されているところです。Park-PFIで大きく変わる時を迎え、行政と公園愛護会と民間企業がこれからどのような形で連携していくのかも注目していきたいところです。

(愛護会テラス前でラジオ体操!木がなくなった場所は円型花壇として活用、今はカラス避けのネットがかけられています。白い椅子は活動中に出して誰でも利用できるようになっています。)
(その季節に見られる花の写真や活動日のお知らせ、イベントの楽しい様子が見られる掲示板:2023年に設置されました)
(美しく咲き公園を彩るタチアオイの鑑賞に多くの人が訪れる:大通り公園水の広場愛護会提供)
(大通り公園水の広場)

【基本情報】

団体名大通り公園水の広場愛護会
公園名大通り公園水の広場
面積5,500 m2
基本的な活動日毎週土曜日 9:00-11:00
いつもの活動参加人数10人くらい
会の会員数サポーター約100名
活動内容花壇の管理、除草、落ち葉かき、低木の管理、施設の破損連絡、愛護会活動のPR、新メンバーの募集や勧誘、地域のイベント、子ども向けイベント、他団体と連携したイベント、高齢者など地域の声がけ、公園再整備に関する活動
設立時期2011年
活動に参加したい場合は土曜日に大通り公園水の広場にいらしてください!
取材・執筆
取材・執筆
椛田 里佳 代表理事

子どもの頃から公園好き。母になってからは、子どもたちの声であふれていた近所の公園に、仲間同士で公園愛護会をつくりました。もっと楽しく明るく居心地の良いみんなの公園になるよう、ゆるやかに実験中。大手上場企業を経験した後、上海暮らしや、社会人向けスクール「自由大学」の学長を経て、子どもたちと家族中心の暮らしにシフト。夫を難病で亡くし、公園に関わる仕事に。京都大学農学部卒、名古屋市生まれ。

子どもの頃から公園好き。母になってからは、子どもたちの声であふれていた近所の公園に、仲間同士で公園愛護会をつくりました。もっと楽しく明るく居心地の良いみんなの公園になるよう、ゆるやかに実験中。大手上場企業を経験した後、上海暮らしや、社会人向けスクール「自由大学」の学長を経て、子どもたちと家族中心の暮らしにシフト。夫を難病で亡くし、公園に関わる仕事に。京都大学農学部卒、名古屋市生まれ。

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